2015年シーズンを最後に惜しまれつつ引退を発表し、今ではわかりやすい解説や趣味のラジコンを生かしてのTV出演も多い山本昌(やまもとまさ)選手!
中日ドラゴンズ一筋で50歳になるまで現役を続き、1984 – 2016年と32年間プロとして活躍した選手はこの先も出てこないような偉業ですね。
今回はそんな山本昌さんの
山本昌の年俸推移やドジャースで覚醒?ラジコンのメーカーはどこ!
についてまとめてみたいと思います!
山本昌さんの年俸推移!
30代前半までプロで入れたら十分に長いといわれる厳しいプロ野球界で50歳まで現役を続け実働30年以上も投げ続けた山本昌さん!
ただ、もともとすごい期待をかけられていたわけではなく
高校時代は激戦区・神奈川県の日大藤沢高で甲子園出場はならず1983年にドラフト順位は5位で中日ドラゴンズに入団!
ただ生涯年俸は30億越えと、実績以外のお金の面でもすごい選手になりました。
その年俸の推移を見てみると
入団3年目までは一軍登板がなくほとんどあがっておらず
一億円を超えたのは1993年、1994年と連続して最多勝をとってからで
以来15年にわたって年俸一億円越えと年俸の面でも前人未到ですね!
まず普通の選手だと現役を15年続けるだけでもけっこうな快挙なので
そして最高年俸は42歳になった時の2億4000万でこの前年は10勝をあげる活躍をしました。
ちなみに引退するシーズンは4,000万円となっています!
詳細な年俸データはコチラより↓
山本昌はドジャースで覚醒?
中日入団当初は186cmと恵まれた体格だったんですが、ストレートは135km/hほどだった山本昌投手!
しかも、今では代名詞になっているフォームもぎこちないとされていてそこまで監督・コーチの評価は散々だったようです。
そのためか、プロ5年目の1988年には当時、球団間で提携していたロサンゼルス・ドジャースに一年間の予定で野球留学に出されます。
ドジャースの下部組織の1Aチームベロビーチ・ドジャースで投げ始めるんですがこの異国のドジャースで
現役生活を支えた投球術や新球種を会得し、野球選手として完全に獲得したんですがその助けとなったのが
アイク生原さんの存在で
- 低めへのコントロールの大事さ
- ボールのリリースポイント
- 生活習慣の改善(缶ビールは2本まで等)
を叩き込まれます。
そして、さらなる収穫はこのドジャースの地で他の選手が使っていたスクリューの投げ方を教えてもらい
その後の決め球としてこれが選手としての大きなステップになっています!
残念ながら、当初一年だった野球留学もこのスクリューの取得で活躍しすぎて途中で中日に戻る結果になってしまったんですが
もし、そのまま残ってメジャー挑戦!なんてことになっていたらと考えるとどんな野球人生をおくったのかも興味あるところです。
山本昌さんのラジコンのメーカーはどこ!
野球だけではなく車や昆虫採集など非常に多趣味な山本昌さん!
なかでも一番の腕前なのがラジコンでシーズン中にも関わらず必ず週一で練習し
2002年には全日本選手権のEPツーリングカースポーツクラスで4位に入賞!
という実績もあるんです。
そんな彼が好きなラジコンメーカーはミワホビーで一緒に共同開発し、販売するほど知識も深く
そのレベルは国内でもトップクラスを維持しています!
まとめとして
最近では解説を聞いててもわかりやすく、すでに経験十分なので将来はまた野球の監督やコーチで戻ることも期待されている山本昌さん!
ぜひそのユニフォーム姿をまた見てみたい存在です。